一町一家の本/ニューハウス出版2007から転載
塗り壁とはなにか。
15年ほど前のある日、私は初めての塗り壁(左官)の現場に立っていた。集められた職人たちが、白いとろとろの液体を左手に抱えて、右手の鏝から壁へとさばいていた。それまで知る漆喰壁といえば、柱毎に分断される極々日本的な壁(真壁という)であったが、私が受け持っていた現場は、柱は壁の中に隠された大壁であり、マッシロな、しかも長さが20m近くある長い壁であった。漆喰とはペンキのない時代の白い壁をつくる昔の手段であり、伝統的であるということが最大の存在価値だという程度の認識しか当時の私にはなかった。そんな大いなる誤解を飛び越えて、出来上がったその白い壁は私の身体に襲いかかってきた。同じ白でもペンキやクロスの白とはまるで異なっていた。理屈では白であるが何か透明感があり、奥行きがあった。柔らかいとも言えるし、また、触れば冷たいはずのものに暖かさのようなものを感じた。化学的には無機質であるのに、官能的であった。
その現場から数年が経ち、シックハウス症候群という建築材料が呼び起こす病理の実態が社会的に顕わになってきた。ベニヤやペンキ、クロス貼りに使われる接着剤からの揮発性物質が人体に悪影響を及ぼすということで、それらの建材はやり玉に挙がった。代わりに人々の関心を奪ったのは、塗り壁という昔からある壁の仕上げであった。塗り壁には問題の物質は含まない、また逆に室内に存在するVOCを吸着する効果もあるとして、存在が急浮上した。ペンキやクロスは戦後急速に普及した仕上げ材、これをウサギに例えるなら、塗り壁とは誰がどう見てもカメであった。仕上げるのに時間がかかる、従ってお金がかかるとなり、徐々に日本の家々から退いていった代物だ。そのカメがウサギを追い抜くかもしれないという事態が起こったのである。
改めて塗り壁とはなにかというと、鏝で仕上げる壁もしくは天井ということになる。多くの人がそう思うように、厚みがあって凹凸のある仕上げ、ということで間違いはない。しかし、今はもうシックハウス対策の有力手段という一時的な話題性も落ち着いた。塗り壁の種類も種々様々に出そろった。凹凸はあくまで表層である。選ぶ側の評価基準はそろそろ成熟期に移るべき時を迎えている。
- 実体験に基づく一言
「空気が澄んでいる感じがする。」「なんとなくステレオの音がいい」(久留米市A邸)
「夏涼しいような気がする」「音楽が心地よく響きます。」(福岡市S邸)
「換気窓がないのにトイレの臭いが全然ない」(佐賀市Pマンション)
「真冬に鍋をガンガンに炊いてもアルミサッシが結露しない」(同上)
「とにかくこの土壁を見ながらゆっくりとお酒がのめる」(福岡市店舗T)
「重厚なイメージ」(福岡市店舗i)
「全部漆喰にすればよかった」(福岡市事務所U)
「この壁には絵を掛ける必要はありませんな」(福岡市N本社ビル応接室)
「長居できるトイレ」(福岡市T邸)
「すごいかわいい部屋」(福岡市A賃貸マンション)
これらは全て漆喰や土壁などで仕上げられた家や店舗の住人や所有者の意見である。私が意見を求めて帰ってきた答えではなく、全て先方が思わずこぼした感想である。設計者へのねぎらいの言葉でもあるだろう。が、それはさておき注目したいのは、多くが曖昧で、直感的で、感覚的、主観的な意見であるということである。
- 塗り壁は高いか。
家づくりを考えるほとんどの人が土壁や漆喰塗りは予算を大きく圧迫すると考えている。例えばビニールクロス¥1000/平米に対して、漆喰塗り(ラフ仕上げ)¥3000/平米と考えると、単価としては3倍になる。だが実際は家にかかる全てのコストに壁の仕上げがどれほど占めるかによるのである。仮に12畳の居間の壁天井を全て漆喰塗りにしたとする。65平米×(¥3000-¥1000)=13万円の差である。こうして一部屋二部屋と漆喰を塗っていったとして、例えば12畳を5部屋分行えば13万円×5=75万円の割り増しである。家全体が2000万円だとしたら消費税分の増額にもならない。もちろん仕上げ方によって左官の単価は倍にも3倍にもなる。ヨーグルトで言えばプレーン。そういう基本的なものであれば、クロスなどの廉価なものからの割り増し具合というのは、この程度である。高価なシステムキッチンや高価な暖房器具などの設備を選ぶより、誠に慎ましい贅沢である。
私自身の塗り壁の出会いは、恥ずかしいほどに素人であった。しかし今から思えば効能とか性能が塗り壁に求められる以前の、ある意味「素っぴん」の塗り壁と出会うことが出来た。今は実物を見る前にたくさんの情報が先に手に入る時代、しかし実物の持っている情報の豊かさはその比ではない。自分の五感を頼りにしたい。写真である限り、専門家であってもペンキの白と漆喰の白の違いは、わかり得ない。しかし、実物を目の当たりするならば誰にだって解る(感じる)ことができる。塗り壁は口の中に入れる食べ物と同じように、写真や解説などの媒介物では本当の良さを伝えることが出来ないのである。IT時代にはなかなかついて行けないカメの境涯である。